「The School of Life」と協力して、ギフトコレクションの登場を記念したクリスマスシーズンに大活躍のギフトガイドを作成しました。
日常生活のための良いアイデアを生みだすことを目標に、「The School of Life」は哲学、心理学、文化理論を通して、賢く人生を生きる数々の方法を提案しています。私たちがどのように選択し、与え、受け取るかの思考プロセスの分析を通し、クリスマスシーズンの贈り物選びの喜び(と苦痛)をナビゲートすることを目的としたハウツーリストです。
贈り物を賢く選ぶ方法
子供のための贈り物を購入するのは比較的簡単です。子供は素直に欲しい物を教えてくれますからね。しかし大人のための贈り物選びは、親密な人のためにでさえ難しく感じることがあります。受け取る人が自分で購入できるものの中から、その人の趣味に合うもの、かつ既に持っていないものを選ばなければいけません。しかしなぜ受け取る人が自身のためにそのものを購入していないのか疑問に思うかもしれません。買い物する時間がなかったとか?もしくはカシミアのセーターや美しい花瓶は自分に値しないほどのものだと感じたとか?
最高の贈り物にはより深い意味があります。私たちは何らかの形で、贈り物を受け取る側が自分自身では気づかないニーズに気づくのです。それは仕事でストレスを受けている同僚への料理教室での体験や明るいオレンジのニット帽、冒険をしなくなった友達へのスカイダイビングの経験かもしれません。考え抜かれた贈り物は、非常にまれな現象を生み出します。受け取る側が自分自身では把握していないなにか(もしかしたら後に考えてみたら明白なもの)を明らかにするのです。考え抜かれた贈り物とは単に物質的なものでなく、自己理解を表します。
贈り物で後押しする方法
直接的には見えないかもしれませんが、いい贈り物は受け取る側を後押しします。エレガントなノートブックは、自己反映や表現豊かな思考を持つことに繋がります。ペンギンの形をしたケーキプレートは遊び心を呼び起こしてくれたり、毎日の真剣さから解放されるきっかけになるかもしれません。美しい陶器のマグカップは、穏やかでシンプルな人生のあり方を静かに語りかけるかもしれません。そのマグを使うたびに日々の負担を軽減したり、より控えめになってみたり、もっと余裕をもって生活することを思い出させてくれるかもしれません。
そのような贈り物は、良い親が子供を褒めるのと同じように、ポジティブな影響を与えます。親は子供にいい子だ、かわいいと(そうでないときも)言い続けることによって彼らがそれを信じ込み、そのように行動し始めるかもしれないことを知っているのです。同じことが贈り物選びにもいえ、親切で優しい後押しの原理が適応されるのです。本当に思いやりのある贈り物は、愛する人を慕うのと同時に、彼らが将来なりうる姿を慕うことを表します。
大切な瞬間を記憶する贈り物選びの方法
私たちが受け取る最高の贈り物は時にアーチファクトとなります。それは私たちの生活の中で最も重要な真実を記録するのです。たとえば、子供のために初めて購入したおもちゃや結婚指輪(たとえ保険がかかっていても)などを失くすのは絶望的です。それはその物に財産的価値をはるかに超える意味があり、単に物理的なコピーで置き換えることはできないからです。
貴重な贈り物を保持するにあたって、私たちは人間の弱点である「忘れること」を克服しようと試みることができます。
ミニチュアのタイムマシンのように、私たちが受け取る贈り物は、覚えておくのに苦労する重要なアイデアや考えに注意を戻します。たとえ贈った側が近くにいなくとも、また、彼らがいなくなってからも、記憶への再訪ができるのです。
私たちは古い友達から離れて成長し、人生における重要な出来事の記憶は時間とともに消えていくのが当然です。しかし贈り物を通じて、古い友達や忘れられた自分自身の大切な部分への繋がりを再発見することができるのです。
見返りを求めずに贈る方法
贈り物をするにあたって、受け取る側が感謝の気持ちを示さないことに対して不快感を感じるのは簡単です。しかし実際には、なにも見返りを求めないのが真の贈り物なのです。受け取る側に義務感を感じさせないのです。感謝の気持ちでさえです。(あまり魅力的でないおもちゃをもらって強制的にお礼を言わされた子供の頃の思い出は不愉快ですよね。)
これはより深い真実を明らかにします。子供だった私たちに対して、親は何も見返りを求めずにものを与えます。彼らは、自分たちのことは二の次に、笑顔の裏に不安を隠して私たちに安心をもたらします。私たちの努力が実にならなかったときには、暖かく励ましてくれます。私たちのほとんどは、この優しさを思い起こされたり、感謝を求められたり、どのように助けられたかに気づくことさえありません。時間の経過と共にこれに気づかされるのです。
真の思いやりとは、なんの期待もなしに与えることです。そうすることで、我々は受け取る側により豊かなものを提供します。それは彼らが自由に反応すること、時には全く反応がないことをも受け入れることです。
奇妙な贈り物を受け取ったときに気まずくならない方法
贈り物をして、それを受け取る代わりに評価されることはひどく不快です。その人は聞きます。「なにに使うのでしょうか?」と。目を合わせずに笑顔を浮かべたり、あまりに高い声でその贈り物がどれだけ素敵なものかを繰り返します。失敗したことを察したとき、人間は萎縮します。ミスマッチだったことは今やとても明白です。どうしてこんな間違いを犯してしまったのかと自分を問いつめます。
対照的に、賢く受け取る人は贈り物そのものの物質的価値以上に行為そのものに感謝します。彼らは、その人との関係と贈り物を結びつけます。贈り物が意味するものを見るのです。彼らは、リビングルームの壁紙の色合いに合った花瓶を見つけるのがどれほど難しいことかを理解しているのです。彼らは、包装紙を開けながら中に入っている本を見て、映画を見て一緒に笑った瞬間を思い出すのです。奇妙で珍しい贈り物を受け取ることに対して、落ち込むことはありません。その贈り物は、優しく、貴重なメッセージを伝えている可能性があるからです。最も奇妙で不適切な贈り物を通しても、受け取る人に対して、あなたを幸せにしたい、と伝えることに努めているのです。
贈り物に価値をつける方法
贈り物の物質的価値だけを見たら、その最大の価値は値段だけとなってしまいます。がんこな経済学者のなかには、人にものを贈る行為は価値を破壊するだけで、完全に非合理だと主張する人もいます。結局のところ、自分自身が他の誰よりも求めているものをわかっているのであれば、お金をあげるのがもっと論理的ではないでしょうか?
一方で純正主義者は、贈り物はあまりに消費的であり、私たちが本当に必要なものは物質的なものでなく愛、友情、敬意だけであると言います。
両方に争点があります。しかし3つ目の視点があるかもしれません。それは、贈り物が私たちの人生において最も重要であり最も無形な真実をエレガントに象徴していることです。アートは、最も価値のあるアイデアや理想を視覚的形で捉えようとします。同様の方法で、贈り物は私たちの愛する人に最も伝えたいアイデアを物理的に表現することができます。最高の贈り物とは、熱望することを日常生活の中で少しだけ身近にするのです。
